不倫報道で盛り上がる影で代償になっているもの
ベッキーのゲス不倫で数字を出したことで味を占めたマスコミ勢たちは、今日も著名人の不倫スキャンダルを追いかけている。
過去に元旦那に不倫をされ続けてきた身としては、不倫発覚により身を滅ぼしていく著名人たちを見て、溜飲を下げることがないわけではないが、登場人物やシチュエーションが違うだけで取り扱い方や掘り下げ方が同じな不倫報道には、そろそろ辟易してきた。
最近の不倫報道には、マスコミの下品な不愉快さしか感じなくなってきてる。
もちろん、不倫は悪いことだ。
それぞれに事情はあるだろうが、きちんと婚姻関係を清算してから恋愛なり性愛を深めていくべきである。
だが、不倫はあくまでも当事者間で処理すればよい問題だと個人的に考えてるので、無関係な外野が騒ぐことに関しては、大なり小なりの浅ましさを感じてしまう。
不倫報道により、私のような不倫被害者が不倫加害者である元旦那と不倫した著名人を重ねて溜飲を下げたり、世間的に成功者と言われる著名人が自制できない不義理により落ちぶれていく様を「他人の不幸は蜜の味」とばかりに啜って好奇心などを満たしたり、正義の鉄槌を振りかざしたくてたまらない人たちのサンドバッグとしてストレス発散になったり、「これだけ騒がれてるのだから」と浮気や不倫を自重する人が増えたりと、それなりの需要を満たすことがあるとは思う。
不倫というルール違反のことをしたわけだから、社会的制裁というようなそれなりのペナルティを課せられることも逃れられはしないだろう。
でも、ワイドショーなどでコメンテーターが語る「奥さま(旦那さん)やお子様のことを考えると…」という切り口は毎度耳を疑いたくなる。
「あなたたちが騒がなければ、家族が傷つくことはなかったのではないの?」と。
配偶者にしてみれば、裏切りが発覚することで本人に見切りを付けられたり、反省を促すキッカケなったりと、マイナスではない要素が不倫報道にある可能性がゼロではない。
でも、子ども特に年端もいかない小さなこどもの場合はどうであろうか。
不倫報道は虐待になるとすら私は考えている。
報道するマスコミとしては、「では、なぜ小さな子どもがいるのに不倫をしたのか?我々はそれを糾弾したいだけだ」というもっともらしい大義名分があるのかもしれない。
そうだとしても、それは小さな子どもを傷付けてまで行うことなのか?
私は疑問に感じてしまう。
ウエディング業界の腐敗したシステム特有の低品質さが気持ち悪い
ウェディング業界、もう少し華のある世界かと思っていましたが、外も中も壊滅的に終わってました。
結婚は二度目ですし、冠婚葬祭に携わる仕事もしておりましたし、目が肥えてしまってるんでしょうか…?
物事にはお金というものが、どうしても絡んでくるものなので、ある程度の価格設定は品質向上の為にも必要だと思います。
でも中抜きや手間賃などのぼったくり方、えげつなくないですか。
たとえ、1回きりの利用でリピーターが不要な業態だとはいえ、式後一週間後に届いた写真の仕上がりが最悪って、商売舐めてませんか。
素人のご夫婦でしたら、拙いメイクや撮影、伝統や由来をかなり特殊にアレンジした進行、手入れの甘い衣装、使い古された小道具…気づかないかもしれません。
でもまがりなりともプロなので、嫌でも目についてしまいます。
今回はホテルではなく由来のある神社での式を希望していたので、手頃な神社を探したのですが、ほとんどの神社が付き合いのある会社やお店でしか着付けや撮影をお願いできないとのことでした。
持ち込み料を払えば対応してくれるという神社もありましたが、かなり制限された持ち込みであることが多く、持ち込み料も安くないことから、実質お断りのような状態なので、とりあえずプランを選んでほとんど丸投げさせていただきました。
そして迎えた挙式当日…
まず、進行や列席者へのケアが甘いです。
これは私が飲食店に長くいたせいで多少厳しいかもしれません。ケアレベルをレストランに例えるなら、「チェーンのファミレス」レベルでした。列席者はきちんとした格好でいらっしゃるわけだし、私たちにとっては晴れ舞台です。もう少し細かい演出にも気を配って欲しかった。お支払いしたお値段は、他の単価の計算をした上でも、十分にサービスしていただける額だと思います。かけたコストが現場のスタッフたちに還元されていない可能性は、十分にあり得ることですけれども。
そしてメイクと着付けの簡易さ。白無垢を選びましたが、着付け方はかなり楽な方法。帯などは作り帯です。熟練したテクニックが必要ではないので、やり方さえ覚えれば誰でも簡単にできる着付けです。そしてメイクは時代遅れなものでした。最低限のメイクスキルは身につけていらっしゃいましが、きちんと継続してメイクの勉強されていないことが如実に伝わりました。こちとら、現場もそこそこの数こなしてきておりますので(怒っている)。
写真撮影は、普段仕事で現場を仕切ることが多い夫が「使えないカメラマンだな…」とぼやくぐらいに、被写体の気持ちをすくい取ることなく、マニュアルの通りに流れ作業のようにシャッターを切るタイプのカメラマンによるものでした。素人というわけではないにしても、写真というのは上手い下手が分かりやすいものという理解をされているんでしょうか。写真を撮られ慣れていない方たちには、初めて着る婚礼衣装に舞い上がって、写真の質など言及されないと思っているのでしょうか。フレームの隅々までチェックする仕事をしていたので、雰囲気写真なんかで騙される純真なんか頭にないんですよね。
挙式自体は仁者の執り行ないで、クレームできる対象ではないのでノーコメントになりますが、とにかく神社の出入り業者さんたちは、みんな意識が低い人たちばかりでした。
営業に力を入れるのみで、スキル向上等の努力をしたところで、口コミの集客力は知れたものだと切り捨てるこの胡座のかき方…
私も全ての式が終われば、忘れるのだろうけれども、この業界は本当に気持ちが悪いなと思いました。
生きづらいけど、悲観して死を選ぶという発想もない
発達障害を抱えて、「独自の基準」の中で生きている私は、健常者の常識を理解できない。
理解をする努力はいまだに続けているので、データはそこそこたまってきた(思い出したくない失敗の数々が、今の私を支えてくれている)。
データをマニュアル化して、思考停止でも振る舞うことができるようになったけれども、まだ全体の30パーセントくらいしか身につけられていないと思う。
いまだに失敗を繰り返している。
精神の磨耗が半端なく行われる。
ウエディングパーティーの準備が、それに拍車をかける。
普通のパーティーの企画は滞りなくこなしていたのに、やはり自分のプライベートなパーティーは苦痛。
一生、日陰の人間でいたい。
日常を守ることと、傍にいることは時に相反する。
都知事は給料全カットに加えて、公式の場への露出も避けてほしい。
清廉潔白なことを政治家に求める行為は愚の骨頂
6月6日に発表された舛添都知事の政治資金の調査結果が、案の定避難を浴びている。
私が認識している限りでは、1年くらい前から話題に上っていた舛添都知事の政治資金問題。
当初から、それにまつわる記者への質問に対して「問題ない」と否定することに加えて、愚問だと言わんばかりに振る舞う彼の高慢な態度に、都民として私も憤りを感じ、メディアがこぞって取り上げる日を待ち望んでいた。
そしてようやく訪れた連日報道。
さまざまなメディアが詳細に資料を読み込み、都知事へのバッシングを繰り返し、なしのつぶてだった都知事が反省の意を表することになったのは、非常に有意義だったと思う。
だが、そこから当たり前のように辞任を要求する流れには賛同できない。
過去に疑惑を向けられ釈明できなかった政治家たちも、同じように辞任を要求され多くの者が言われるがままに役職を解いて去っていったが、どうして世間は責任を"辞任"という形で負わせようとするのだろうか。
舛添都知事は非常に分かりやすく権力に固執しており、罰としてその職を解くというのは彼へのダメージとして計り知れなく、"裏切られていた"都民のハラは収まるかもしれない。
けれど、それで解決する問題よりも、そのことで生じる後任人事などの新たな問題の方が大きい気がしてならない。
コストも手間もそれに割かれることの方が、実は都民にとってデメリットなのではないだろうか。
舛添都知事は傲慢で権力誇示が痛々しく金銭への執着も凄まじいが、それ以外の政務公務に関しては"普通"という印象がある(右翼派の方には、保育所よりも韓国人学校の設立を優先させたことなどに意見はあると思うが、これも単に韓国権力とのコネクションを優先させた彼の驕りなので、思想的な意味合いは薄いと個人的にみている)。
今回のことで、都民として目を光らせるべきポイントが政治資金とハッキリしたので、新たに選出された都知事よりも、扱いやすい存在になったと思うのは、楽観的だろうか。
リオ五輪の閉会式で行われるフラッグハンドオーバーセレモニーで旗を振るうことを心待ちにしている舛添氏のことを考えると妙に腹立たしく、「他の人にやってもらいたい…」とは切に思うが、感情的にならずに俯瞰して都政を慮りたいものである。
日本人は国民性なのかなんなのか、"ハラキリ"のようなことに美学を感じすぎていて、根本的な問題解決に向き合わない性質があるように思う。